(1)
我々は科学において、すばらしいが長きにわたり役立たないような理論が突然最も重要な応用の基礎となるのをある時には見ることがあり、またある時には見かけ上非常に単純な応用が、その必要性を我々がまだ感じてもいないような抽象的な理論の概念を生まれせしめたり、数学者の仕事を理論の方へ導き、彼らに新しい業績を開いてくれるのを見ることがある。HARS,1781(1784)p.35.
(2)Duhamel du Monceau(1700-82)のエロージュより
科学が続けて幾世代もの業績で豊かになり、新たな真実の発見は日毎に困難になる一方で、より容易に既に打ち立てられた真実の好ましい応用を行えるようになったとき、我々は科学を実践(pratique)に呼び戻すことに努めなければならなかった。
ある若い役人が、恐らく彼(Duhamel)を狼狽させようとしてのことだろう、ある日質問をした。「私は何も知らない。」その時、他の時にもよくあるようにフィロゾーフ(Duhamel)は答えた。「それなら、アカデミーの出身ということは何の役に立つんです?」その若い男は言った。[...] そこでデュアメル氏は言った。「ムッシュウ、あなたはアカデミーの者であることが何の役に立つかわかったでしょう。それは、己の知っていることより他は語らないということにあるのです。」
我々は彼(Duhamel)の例により次の事を示す事が出来る。すなわち、科学を有用なものにしたことの栄誉に預かるためには非常な学者(très-savant)でなければならないということである。
(3)Vaucanson(1709-82)のエロージュより
我々は一般に、真の機械技師が持つ才能の種類について正確な概念をあまり作り上げていない。[...] 諸科学のこの分野における天才とは基本的に、所与の効果を生み出しべき、そして動力機関の力を調整し、分配し、統御するのに役立つ異なるメカニズムを空間の中に想像し配置することにある。機械技師を、その才能や成功を実践に負っているような職人とみなしてはならない。機械学における傑作は、ただ一つの機械も制作し動かすことなく発明することが出来るのである・・・
その(機械学の)真実の理論は、位置の幾何学(géométrie de situation)1 に依っているのであり、それはライプニッツがその存在を知っていたものの、未だ殆ど発展を遂げていないものなのである。その科学の原理を収めている教科書は全くない。[...] 技術の作業場や機械のコレクションが成されたものごとについて示してくれるのである。だが、そこから結果を引き出すためには、自身でそれら(結果)を作らねばならない。
結局、新しい機械に付与しうる長所の検討は、観察するのと機械を作る習慣とによってしか推察されない多くの細かい観察に依っている。諸科学のこの部分は学者の判断が最も尊敬されていないものの一つである。他方、おおかたの機械技師達が、才能をもって生まれた者であってさえも、機械学の法則と物理学の原理を無視している。
(4)
従って、科学者を公共の視線にさらしてくれるような、科学者がその力を発展させることが出来るような地位に置いてくれるような、政治的秩序における地位を科学者に供与してくれるアカデミーというものは、もしも他の状況にあったとしたら王政府に害をなしたような人物をも王政府にとって有用な形で雇うことが出来るという強みがあるのです。
1770年代中頃"Sur l'utilité des académies," American Philosophical Society, MS 506 C75,f.2. またはB.Inst., MS 870,ff. 138-58 Baker(1975),p.73の引用より訳。
1 おそらくライプニッツの未完の理論、位置解析(Analysis situs)を指す。一般に位置解析に関するものは出版されておらず草稿での再発見は19世紀と言われるので、18世紀末のコンドルセが言及しているのは不思議であるが、詳細は今の時点ではわからない。