第二章 「社会数学」の具体的内容

   第一節 『多数決の蓋然性に対する解析の適用の試論』について

  第一章でも触れたが、1785年に完成した『多数決の蓋然性に対する解析の適用の試論』(Essai sur l'application de l'analyse ? la probabilit? des d残isions rendues ? la pluralit? des voix) は、コンドルセが後に「社会数学」と呼ぶことになる多面的な理論構想の最初の成果が結実した論文であった。
 コンドルセ自身は『試論』を自分の社会数学における最も重要な業績と位置づけていた。だがその一方、『試論』中において、それが「重要な問題の解決法を粗描しただけ」の「簡素な試論」でしかなく、よりすぐれた研究成果が生まれるのは後のことになるとも言っている(1)。 フランス革命の最中、彼が思想的にも政治的にも志半ばで命を終えたため、『試論』は、社会数学のテクニカルな側面に深く踏み込んだ最初で最後の大著になってしまったともいえるだろう(2)。
 この論文の目的は、裁判や選挙の様に多数の人間による意志決定が問題になる場面で生じる様々な状況と、それを適切に処理するための方法とを確率論的手法を用い、数学的な明快さ、合理性をもって分析することであった(3)。つまり、政治や法学など社会の問題が算術の用語により記述出来ることを示そうとしたのである。
 しかし、実際の所、彼の数学的分析は明快どころか、かなり繁雑であり、曖昧だったり混乱していたりするところも多いのである。そのため、同時代人には充分に重視されず、後代の19世紀の人々にとっても、数学面で意味不明な箇所があるのみならず、確率論における思想背景の完全な変化から、彼が取り組もうとする問題設定の意義自体が自明なものでは無くなっていった(4)。
 再評価が行われたのは1950年代を過ぎてからだった。『試論』に見られる人間と社会を対象にした科学の構想過程に関心が寄せられ、コンドルセの「社会数学」構想自体の独自性とその深さが理解されるようになったのである(5)。 近年はこの『試論』が、現代のゲーム理論(集団的意思決定理論)による「ポリティカル・サイエンス」の先取りをしているといわれ、また、ラシェド氏を初めとして、今日一般に「ベイズ主義」と呼ばれる確率の哲学的解釈の先駆者をコンドルセとする研究も進みつつある(6)。
 『試論』は五部構成をとっており、それに序論がつけられている。序論は、本文で述べる予定の数学的研究の成果を数学者でない人に理解しやすい形で示すために書かれた。そこでは、確率論の基本原理を手短に説明した後、本文の五部構成に沿って各々の内容をなるべく数式を使わない形で概説している。しかし、この序論は、本文の単なる概説ではなく、後に社会数学と呼ばれる彼の試みの認識論的基礎について1782年の演説よりも立ち入った解説がなされていることで重要である。
 次に、『試論』本論の内容だが、第一部では理想的な投票者から成る選挙モデルを想定し(これについては後に詳述する)、更に決定の方式や投票者数、選挙の行われる回数、投票の際の選択肢の数など、色々な場面を設定して、仮説をたて、どのような結果になるのかを探っている。前述の「ゲーム理論」の分野で「コンドルセ効果」とよばれるようになった選挙のパラドックスも第一部で提示されている。第二部は第一部の条件を少し変えた場合の選挙モデルの考察であり、内容的には続いていると言っていい。第三部では議会や裁判所で既に下された決定について、それが「真理に従っている」度合いを表す確率はどのくらいかを、決定が得られた後で評価することを試みている。そのために、我々の言うところの「ベイズの定理」が用いられる。第四部は第三部まで用いてきた理想的な投票集団モデルではなく、より現実的な投票者集団が選挙を行う場合、生じるであろう困難について考察しようとしている。第五部は、今まで展開してきた理論の実際的応用編と位置づけられている。具体的には法廷の望ましい陪審員の数などを数学的合理性に基づいて提示しようとしてい
る(7)。
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 本稿では、その全てを扱うことは出来ないので、以下のトピックに限って論じることに
するつもりである。まず最初は、序論にみられる社会数学の認識論的基礎付けについて概説し、その独自性を考察する。そして次に、本論第一部を中心とする選挙モデル理論の内容と、近年注目されている第三部のベイズ主義的分析の問題について順に見ていくつもりである。


(1)Essai sur l'application de l'analyse, p.clxxxiv.
(2)1785年出版の『試論』の内容を1793年以降の用語である「社会数学」で表すことについては第一章の註(24)を参照のこと
(3)伊藤邦武『人間的な合理性の科学--パスカルから現代まで』(勁草書房、1997年)、54ページ。
(4)Hacking,op.cit.,p.88. Daston,op.cit.,p.211. 18世紀以前において「どれだけ真理 であるか」、 「どれだけ信じるに足るか」の度合いを調べる計算手段としての確率計算、 という概念は一般的であっ た。当時の人々は、人が迷信的な情熱に影響されることなく 理性的に判断するためには、確率計算が重 要な役割を果たすと考えたのである。しかし、 19世紀に入ると確率論のこのような応用は重要なものと 考えられなくなり、確率論は専 ら科学的な観測誤差の修正や経済学的な利潤計算、社会現象の法則性の 推測などに用い られるもの、との観念が定着していく。
(5)Pierre Cr姿el, メCondorcet, la th姉rie des probabilit市 et les calculs financiersモ, in: ed.byRoshdi Rashed,Science ? l'姿oque de la R思olution fran溝ise:recherched historiques (Paris,1988),p. 267 .
(6)ベイズ主義とコンドルセに言及したおもな研究書としては、Rashed,op.cit.と伊藤邦武、上掲書、が あげられる。
(7)Essai sur l'application de l'analyse.



     第二節 社会数学の認識論的基礎

 第二章第一節で引用したアカデミー・フランセーズへの会員就任演説(1)でコンドルセは、道徳・政治諸科学も自然科学同様、事実の観察に基づいているのだから、同じ方法論と数学的記述を応用することにより、自然科学と比肩する科学となりうるだろうと述べた。『試論』序論でも彼は、道徳・政治科学も天文学や物理学と同程度の確実性を持ち得るはずだと宣言している。
そして、そのための認識論的基礎を提示するのである。
 最初に彼は、純粋に名称の定義として「確率」の抽象的な原理(principe)を与え、計算上のいくつかの決まり事を挙げる。それから、この「原理」は数学的に「厳密な真理(v屍it? rigoureuse)」であり定義にすぎないのでその解釈の内容とは区別される、と述べて、解釈として三つの命題を提示する。
 まず、その「原理」(すなわち定義)は以下のようになる。

 同程度に可能な組み合わせ(combinaisons)が既知の数だけあるとしよう。そのうち
 で、ある事象(思始ement)を生起させる組み合わせがある数だけ存在し、その逆の事
 象を生起させる組み合わせも幾つか存在する。すると、それぞれの事象の確率という
 のは、それぞれを生起させるような組み合わせの個数を、全ての組み合わせの個数の
 総和で割った値に等しい(2)。
 
 いささかわかりにくい表現だが、例えば、サイコロを考えてみて欲しい。サイコロのそれぞれの目が出る可能性は(原則として)皆同程度であることになっており、その目の数は六個とわかっている。つまり、「同程度に可能な組み合わせ」が「既知の数だけある」のである。こうしてサイコロならば、六の目が出る確率などを定義に従って求めることが出来ることになる。コンドルセ自身もこの例を使って定義を説明しているので、彼の基本
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的な確率の定義はサイコロのモデルで理解して良い。だが、計算して求めた確率はそれだ
けでは抽象的な数値でしかない。そこから一歩進んで意味を引き出すための解釈として、三つの命題があげられるのである。彼が着目したのは、判断・推論の際の信念と確率の関係であった。

 1. ある事象を起こす組み合わせの数と、その事象を起こさない組み合わせの数がわ
  かっていて、前者の数が後者を越えていると分かっているなら、その事象が起こると
  信じる方が、そう信じないことよりも、理由のあることである。
 2. (1.においてそう信じることが当然であると考える)この「信念の根拠(motif
de croire)」は、組み合わせ全体の数に対する(事象が起こるのに)有利な組み合わ
  せの数の比率が大きくなるのと同時に大きくなる。
 3. 「信念の根拠」は上記の比率に比例して増大する(3)。

 彼は命題3の真理は命題1と命題2に依存することと、命題1の結果が命題2であることを順次に示す。そして、最後に命題1を証明して、命題全ての真理を確証する。
 ここでは最後の命題1の証明は割愛する。何故かというと、コンドルセ自身が命題1の厳密な証明には、数式で説明した本論を参照のこととしており、それまで示すのはこの節の目的ではないからである(4)。また、命題1の結果が命題2であることの証明については、命題3の真理が命題1と命題2に依存することを前提すれば自明である、と片づけてしまっており、充分な説明がない(5)。よって以下では、最初の、命題3が命題1と命題2に依存することを示す部分だけ取り扱う。それは次にようになる。 
 もしもある事象が起こるのに有利な組み合わせの数が増大するとき「信念の根拠」がより強まるというのなら(つまり、命題2が成り立っているのなら)、まず、次のことが証明できる。すなわち、それが起こるのに有利な組み合わせをより多く持つ事象の方がそうでない方よりもより多く生じる、という信念に一致する判断を繰り返すなら(すなわち命題1に従った判断を繰り返すなら)、そのとき最も確率の高い組み合わせというのは、(事象が起きたか起きないかということに関して)真なる判断の数と全ての判断の数との関係が、事象を起こすのに有利な組み合わせの数と全ての組み合わせの数との関係に等しい、という組み合わせである(6)。すなわち、もう少しわかりやすく言うと、全判断のうち、事象の生起について真なる判断をする頻度が、事象の確率(定義により計算された抽象的確率)に等しくなる可能性は非常に高いということが証明出来る。そして、同時に、判断回数を増やせば増やすほど、この真なる判断の頻度と、事象の確率の差は小さくなることも証明できる、というのである。
 コンドルセは、以上のことは全てヨーハン・ベルヌーイの『推測論』第三部の内容により証明可能だとしている。すなわち命題1、命題2と『推測論』より、ある事象の生起に対して、抽象的確率の値に基づく信念から「事象は起こるだろう」とした判断が真となる「頻度」の値と、先に求めたその抽象的確率自体の値とが、ほぼ一致することが言えると彼は解釈したのである。こうして、抽象的確率と信念に基づく判断の真偽の相対頻度が連動することが示される。そして、それ故に、「より大きな確率というのが、より大きな信念の根拠( un motif plus grand de croire) と同義であることを認めるとは、つまり、同時に、それら(信念の--引用者)根拠が確率に比例しているということを認めることである。(命題3の内容)」として証明全体を締めくくっている(7)。
 ここで、注意しておきたいのは、まず、コンドルセが「抽象的」な確率の定義と、その確率の意味的な「解釈」(上の3つの命題)とを完全に区別している点である。そしてもう一つ、この部分ではまだはっきりと述べられていないが、その抽象的確率の「解釈」の内容に関して、パスカルの賭けの問題を端緒とする「推論による予測・判断の問題」と、J.ベルヌーイらによる「実際の事象が生起する頻度の問題」という二つの確率概念の違いをも明確に意識しているという点である。確率計算の歴史を見る限り、これらの差異--確率を「賭け率」とみるか、「相対頻度」とみるか(8)--を理論的に明確な形で強調したのは
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コンドルセが最初の人であった(9)。
 こうしてコンドルセは確率論の応用として、それ自体では数学的な「厳密な真理」でし
かない抽象的な確率の定義を解釈し、判断の為の推論の問題と、相対頻度としての確率とを、それぞれの区別を認識した上で、関連づけていくところから始めるのである。先にあげた三つの命題のうち、なかでも命題1は、彼の社会数学における重要な概念、「信念の根拠(motif de croire)」を基礎づけるものであった。証明を一通り終えた後、コンドルセはその命題1の意味するところ、特に「信念の根拠」の性質について、例とともに詳しく検証、解説を重ねていく。次はそれを見てみよう。
 袋の中に90個の白玉と10個の黒玉が入っているとするとして、二つの場合を考える。一つ目は「この中から玉を手探りで引くとすると、白玉を引き当てる確率はいくらなのか」という場合、二つ目は「玉は既に引かれているが、それが布に隠されていて白から黒か知りようにない状況の時、白を引いている確率はいくらか」という場合である。そうすると、両者の場合ともに、求められる確率の値は同じであり、白の方を引く確率の方が高いという答えを得る。後者の場合、布の下には既に黒か白かのボールが実際に隠されているにもかかわらず計算で得た確率は同じ値をとるのである。この場合、第三者に玉の色が分かっていたとしても計算には何の影響も無い。つまり、現実に玉の色が決まってしまっていて、それが何色であったとしても、計算をする側がそれを知らない限り、その人の信念の根拠、確率の値は影響を受けない。従って、「信念の根拠と対象になる事象の真偽とは直接の関係は何もなく、確率と事象の現実(r斬lit? des 思始ement)にも関係はないのであ
る(10)」。すなわち、先の証明の結果と総合すると、ある事象が起こる確率を求める場合、事象の生起を信じる「根拠」は確率の値に比例するが、その時点で知り得ない事象(認識できない事象・未来の事象)についての物理的な「現実」はその「根拠」にも確率にも影響を及ぼさないということになる。
 だが、その時のその人に知りうる「現実」--認識しうる物理的感覚刺激--は確率計算に反映され、確率は信念の強さと比例関係にあることが示されているのだから、物理的外界と人間の認識とは確率による仲介を受けていることになる。コンドルセにおいて確率論はまさに客観と主観とを媒介する積極的な役割を担うものなのである。従って、人が合理的な判断を下すのに必要なのは、外界に対し持ちうる限りの情報(持ち得ない情報のことは考慮せずともよい)と、純粋に確率論的な思考法ということになる。
 そしてそれ故に、「未来の事象」は「我々に未知の事象」と等価といえるのである。何故なら、双方とも、我々の認知能力の限界ゆえに情報を得られないものであるという点に変わりはないからである。従って、未来の事象は、既に実在するが我々には未知である事象と同等に計算することが出来るのである(11)。
 更に、以上のような確率に依る「信念の根拠」の性質について、コンドルセは次のようにも言う。「その根拠(motif)は、我々に自然現象の普遍性を信じさせてくれる根拠と同じものである。」(12)彼によれば、日常生活において我々の判断や行動を制御する知識は次の二原理を基礎としている。それは、「自然は不変の法則(des lois invariables)に従う」というものと、「観察された現象を通じて、我々はそれらの法則を知ることになる」との二つである。この二原理に依拠して我々の日常的な判断や行動、自然現象に対する信念も形作られているのである。では更に、我々がこれらの原理を信じる「根拠」は何に依拠しているかというと、それは、「二原理に事実が合致するという経験が恒常的なものである」ことをおいて他にない(13)。
 さて、この二原理の信頼できる確率を正確に知るためには、二原理を信じさせてくれる事実の全ての場合を枚挙することが出来ればいいわけだが、それは不可能なことである。従って、我々はその原理の信頼性を数値的に正確に知ることは出来ない。ただ、非常に信頼出来る確率が高いとわかっているのみである。つまり、日常における我々の知識を基礎づける重要な原理も、究極的には蓋然的なものなのである。
 しかし、とコンドルセは続ける。この原理の信頼性の根拠の場合のように、ある事象の全ての場合を枚挙することが出来ない(すなわち、確率が正確に計算出来ない)としても、
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その事象が起こると信じる信念の根拠は、枚挙が出来る場合と本質的に変わるものではな
いのである。例をだせば、千万個の白玉の中に一個の黒玉が紛れている場合に、「ある人が最初に引く確率はまず黒玉ではないだろう」と信じる「根拠」(信じられる確率)と、「明日も日はまた昇るだろう」と信じる「根拠」とは性質的に異なる物ではないのである。前者が数量的に枚挙の可能な(確率が正確に計算できる)ケースであり、後者がそうでないにもかかわらず、違うのは若干の確率の大きさ、または「根拠」の大きさのみなのである。従って、確率計算で得られる信念の根拠と、自然現象の繰り返しに対する我々の信念の根拠とは同質のものであると言うこともできる。すなわち、確率は近似的に相対頻度でおきかえることが出来るのだということを、コンドルセはここで確認しているのである。確率を推論・意思決定のための「賭け率」とみるか、「相対頻度」とみるか、という二つの立場を意識的に総合しようとする姿勢がこの部分にも窺えるといえよう。
 更に、コンドルセに依れば、ある状況になると必ず同じ感覚刺激を受けるという経験が繰り返されることによりもたらされた「信念の根拠」は無意識的で不可逆な性質のものになり、感覚そのものと見分けがつかなくなる可能性があるという(14)。これは、どういうことかというと、彼は次の様な例をあげている。例えば、身長が同じくらいの二人が、ある人から見てそれぞれ6フィートと12フィートの地点に立っていたとする。そのある人の眼球には二人の異なる大きさの像が映っているはずだが、その人は二人がだいたい同じ位の背の高さだと判断出来るのである。そしてそれは、この様な状況では目に見える像の大きさに関わらずそう判断して良いという経験を昔から恒常的に得ていたことに由来するのだが、それ故に他の見方を出来なくなってしまってもいる。つまり、上記のような状況で遠くにいる人の身長がもう一人の人の二分の一しかないとみなすことは不可能なのである。従って、感覚の刺激の繰り返しによりもたらされた「信念の根拠」は感覚(見える像など)と分かちがたく結びついてしまう性質をも持っているとコンドルセは言うのである(15)。
 18世紀の啓蒙思想家がほぼそうであったように経験論(empiricism)の立場に立つコンドルセは、諸物体の実在に対する信念すらも、感覚的経験の繰り返しから得られた「信念の根拠」による蓋然的なものであるという。先ほどの例同様、物体の実在に対する信念の根拠はまさに無意識のレベルにまで入り込んでいるわけだが(たとえば、我々はテーブルに触れたとき、その実在を疑うことは出来まい)、彼の言うところでは、それも計算で得た確率から得られる信念の根拠(確率が高いので白い玉の方が出ると信ずる場合など)と同じ性質のものでしかないのである(16)。
 こうして人間の認識にとっての実在にまで蓋然性を適用したところで、コンドルセは次にそれの人間の知識への拡張を試みる。「もしも今、数学的証明(d士onstration math士atique)の信頼性はどの様なものかと尋ねられたら、私はそれも[確率的な信頼性と]同じ性質のものであると答えるだろう。」[括弧内は引用者](17)人間にとっては、数学的証明の確かさも蓋然的であるというのだ。
 経験論的立場からすれば、我々がある証明を信頼するのは、ある真理を証明したときの記憶、経験が、また同じ証明をするとそのたびに同じ真理に出会えるという事を示してくれるからである。それは、証明の正しさを信じる根拠も結局のところ、過去の記憶と経験に立脚していることを示す。つまり、確率に依存していることに他ならないのである。
 結局、人間にとっては直観的な明証性に由来するものだけが真の確実性に値するものなのである(18)。
 この話を受けてコンドルセは、人間にとっての「真理(v屍it?)」はその蓋然性の度合いにより、「完全無欠な確実性を持つとみなされている」ものとそうでないものに分けられると述べる。それによれば、前者のような「真理」において、無条件に認めねばならないのは、「ある命題の正しさを意識したという記憶が我々を欺いたことが無く、これからもそういうことにはならないだろう」という、蓋然性に依拠した仮定のみである。数学的証明の真理はこの類に数えられる。それに対し、後者の場合は、まずそのような仮定を原理として認めた上で、更に、対象となる存在に由来する不確実な要因をも前提としなければならない真理である(19)。
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 「真理」についてのコンドルセの思想は年代と共にいささかの変化がある上に、『試論』の説明も省略がちで決してわかりやすいとは言えないが、この後、彼が知識の「確実性」について書いていることと並べてみれば、彼の主張の根幹部分を理解することは出来る。
 コンドルセは人間的知識の「確実性(certitude)」について次の三つがあげられるとしている。

 蓋然性(la probabilit?)が、我々の知性(entendement)の働きにおいて観察された法
 則の不変性に根拠をおく場合、我々はその蓋然性に、「数学的確実性(certitude
math士atique)」という名称を与える。同様な恒常性を、更に、我々自身からは独
 立な現象の秩序に関して想定する蓋然性を、我々は「物理学的確実性(certitude
physique)」と呼ぶ。そして、「蓋然性」という言葉は、それよりも更に他の不確実
 性の源泉にさらされるような判断のことを示すものとして、とっておこうと思うので
 ある(20)。

 最初の「数学的確実性」は前述した数学の証明における真理の蓋然性についていえるものである。二番目の「物理学的確実性」は、物理的対象の存在を扱う際に関わってくる蓋然性である。この二者について『試論』では上記引用文以上の説明は無いのだが、彼の他の草稿には次の様な例があげられている(21)。たとえば、「私は金を見る」「金が王水に溶ける」という言明が純粋に個人の意識内での出来事の表明(私は金を見ているという視覚刺激を得ている、など)や定義づけとしての意味(黄色いぴかぴかした物質で王水に溶けるものを金と定義する、など)を示すとき、それらの言明は「数学的確実性」を分かち合っている。だが、それらが物理的実在についての言明であるとき(私が見ていると思われる金は存在している、私が金と定義した物質が王水に溶けている、などの意味であるとき)、それらは「物理的確実性」を含むものとなる。つまり、「我々の知性における法則の蓋然性」に、「同様の法則が我々自身と独立な現象においても成り立っていると想定する蓋然性」も加えられた程度の確実性しか持たなくなるのである(22)。
 コンドルセ自身は、三番目にあげたいわゆる「蓋然性」こそが「道徳科学」(moral science)の特徴を成す要素だと考えていたようである。この蓋然性については、草稿の中に「人間は自分の子を愛する。」などの例文をあげた説明が試みられていたが、その分析は不完全なまま終わっている。そして『試論』の方では細かい説明はなされていない。
 しかし、数学的論証と自然科学的判断、そしてそれ以外の領域(道徳科学)における推論について、その蓋然性の度合いをこのように区別しているにもかかわらず、コンドルセ自身が全体として強調していたのは、人間の認識能力の不完全さゆえに、人間の知識全般が等しく蓋然性に満ちたものであるということであった(23)。人間の持ちうる知識に特別な確実性を有するものは無いと主張することで、自然科学と道徳・政治科学との間に連続性を見出そうとしたのである。
 多くの18世紀啓蒙主義者同様、コンドルセも、世界中の各々の事象は不変の一般的法則に従っているという、決定論的世界観を持っていた(24)。だが、人間の無知と認識能力の不完全さゆえに、その法則を確実に知ることは不可能だと考えていたのである。そして彼の場合は更にそこから、世界についての知識は何であれ、分野を問わず蓋然的なものにならざるをえないのだ、という結論を導き出すことになった。そうすることで、自然科学の知識と、道徳・政治諸科学から得られる知識との違いは本質的なものではなく、蓋然性の程度の問題に帰着させられる、としたのである。そして、対象の性質の違いゆえに、(例えば経済などを考えてみるといい)道徳・政治諸科学の所産としての知識が自然科学のそれより確実性の低いものだったとしても、その方法論が自然科学同様に科学的なものであれば、科学としての確実さではひけをとらないと主張したのだった。彼は、道徳・政治諸科学による知識の確実性が研究の進展により向上すれば、その分野が自然科学と限りなく対等なものになる可能性を秘めていると信じた。
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 さて、こうして一通り蓋然性について論じた後コンドルセは、認識論的考察をひとまず締めくくるものとして、最後に「社会数学」の試みの基本である確率計算の有用性を再確認する。彼はその為に、人間にとっての「真理」を信じる「根拠(motif)」と計算により求められた確率を参考にした信念の「根拠」の比較を行い、次の様に結論するのである。それは、いわゆる「真理」を信じる「根拠」は計算の必要が無いほど確かなものであるのは確かだが、そのために我々は信念の「根拠」が何であるのか、どのくらいそれは確かなものなのか、に注意を払わなくなってしまっている。その点、確率計算で「信念の根拠」の度合いを求める場合は、根拠が何であるか、注意を払い、理解しようと勤めるようになるし、何より異なる種類の「根拠」を同一基準で数値化することで、明確・公正な比較が出来るようになるというメリットがある、というものであった。
 次節ではいよいよその具体的な応用について見ていくことになるが、最後に「序論」に見られるコンドルセの独自性について若干付け足しておきたい。それは、彼が確率論を人間の認識と行為に関連づけて論じていること、そしてそれにより、確率論を自然科学と道徳・政治諸科学の媒介要因として機能させようとしている点である。ベイズ、ラプラスらのテクニカルな確率論の成果と、18世紀啓蒙主義の経験主義的認識論・社会思想を消化、吸収したコンドルセの最初の哲学的最高到達点がこの序論なのである。


(1)ホuvres, t.,I,p.392
(2)Essai sur l'application de l'analyse, p.v.
(3)ibid. p.vii.括弧内の語は引用者。
(4)ibid.p.ix. 欄外の註に、「この命題[命題1--引用者]はこの著作の14ページと25ページで証明されている」との記述が見られる。
(5)ibid. p.xiii.詳しくは以下の引用を参照。「それ[命題3が命題1と命題2に依存していること]が事実 とすれば、ある事象を起こす組み合わせの数が、その事象を起こさない組み合わせの数を越えているとき、 我々にはその事象が起こると信じる根拠(motif)がある。そして、ある他の事象の起こる確率がより大き ければ、[その事象の生起]信じる根拠もより大きくなるだろうということ[すなわち命題2の内容]を認 めねばなるまい」。 (loc.cit .括弧内は引用者)
(6)ibid.,p.viii.
(7)loc.cit.
(8)内井惣七「解説」、ラプラス『解析の確率的試論』内井惣七訳(岩波書店、1997年)に所収、230-   239ページ。
(9)Rashed,op.cit.,pp.48-52. 例えば、事例の枚挙によるアプリオリな確率の決定が可能であるパスカ ルの賭けの問題では、確率の意思決定論的な解釈が持ち込まれていたが、その理論的整備がなされるには、 しばし待たねばならなかった。また、解析の発達により、『推測論』の著者J.ベルヌーイは、アプリオリ な確率の決定が不可能で、事例の長期に渡る観察に基づき得られた a posterioriな確率(相対頻度)の決 定を必要とする確率論を展開したが、彼の立場は確率の頻度説から離れなかったようである。パスカル以 来、確率論におけるこの二つの側面は暗黙のうちに了解されていたのだが、17-18世紀は確率論自体が未 整備な状態だったので、理論的に明確に区別されないままであった。コンドルセは、他のところでも「確 率論の二つの由来(les deux sources des probabilit?)」について論じており、この二者の違いを認識 していたことが明らかである。彼によれば、確率の二つの由来はそれぞれ「自然そのものについての考察 や、問題になっている命題が真であることについて影響を及ぼしうる原因や理由の個数から導かれた確率」 と「我々が自信をもって未来についての推測を引き出せるようにしてくれる、過去の経験によってのみ基 礎づけられた確率」という二種類の確率に対する概念により表されているという。(Enyclop仕ie m師hodique,t. II, pp.642-643. Rashed,op.cit. ,pp.123-124.)
詳細についてはRashed,op.cit.を参照。
(10)Essai sur l'application de l'analyse, p.x.
(11)loc.cit.
(12)loc.cit.
(13)ibid.,p.x-xi.
(14)ibid.,p.xi.
(15)ロック、ヒュームらイギリス経験主義の影響を受けた18世紀啓蒙主義思想家が皆そうだったように、 コンドルセもエルヴェシウスなど同様、精神は記憶と感覚から成るという経験主義の観点に立っているこ
16
 とに注意されたい(安藤、上掲書、129ページ)
(16)ibid.,p.xii.
(17)ibid.,p.xiii.
(18)数学的証明の確実性の問題については、Rashed,op.cit.,pp.134-136に所収されているコンドルセ の手稿にもう少し詳しく説明されているので、興味のある方はそちらも参照されると良い。
(19)Essai sur l'application de l'analyse,pp.xiv-xv.
(20)ibid.,p.xiv.
(21)Baker,op.cit.,pp.184-5, p.437 ( 註226参照のこと).
(22)loc.cit. 
(23)Baker,op.cit.,p.185. 伊藤邦武、上掲書、55ページ。 
(24)コンドルセの世界観はラプラスのそれに似ていた。すなわち、「すべての事象は、たとえそれが小さ いために自然の偉大な法則の結果であるとは見えないようなものでさえも、太陽の運行と同じく必然的に この法則から生じている」(ラプラス『確率の哲学的試論』内井惣七訳、岩波文庫、1997年、9ページ) という決定論的世界観を持っていたのである。


     第三節 選挙理論

 1 『試論』執筆の目的およびその方法論について
 議会や法廷での多数決による決定が正しいものである確率は、どのような条件であれば、その他の社会構成員に対しその決定に従う義務を課すことを正当化できるほどに高くなるのか。『試論』におけるコンドルセの目的はその問いに答えを与えることであり、更には、それが彼の「社会数学」によってこそ可能なことを示すことであった。コンドルセは、政治的な意思決定を、強い多数派の意思が立場の弱い少数派を圧倒するだけのものとは考えなかった。18世紀のフィロゾーフらしく、集団で政治における真理を発見、実行していく営みと考えていたのである。故に、彼の課題は市民による政治的な議論を、理性的・合理的な意思決定の営みへと移行させることであった。その移行が実現する場でこそ、政治的、社会的意思決定は合理的、科学的なものになりえるからである(25)。
 コンドルセの『試論』における意思決定の問題への関心は、以下の諸要素からの影響が交差したところに由来している。それらの要素とは、法廷での合理的な意思決定や刑事法の原則に関してテュルゴと交わした文通、ベッカリーア(Beccaria)、ヴォルテール(Voltaire)らの冤罪をめぐる裁判制度批判とその改良のための蓋然性理論導入の主張、ルソーの『社会契約論』にみられる政治理論、などである。なかでも、コンドルセがその片腕を勤めた、改革者テュルゴの政治思想の影響は大きいだろう。『試論』の序章の冒頭では、彼が生きていれば『試論』はもっと完全なものになっていたのに、とテュルゴの死を悼む言葉がみられる(26)。要するに、『試論』は当時関心を集めていた公正な裁判のための制度をめぐる論争と、ルソーによる代議政議会、間接的民主制への疑念(代議政は市民の一般意思を代弁しうるか)という二つの問題へのコンドルセなりの回答の書という側面を持っていたのである(27)。
 では、『試論』の選挙理論はどのようなものであったのだろうか。コンドルセは最初に、理論上の理想的な集団的意思決定モデルを想定した。それは次の様なものであった。
 まず、同程度の思慮分別と啓蒙された知性を備えた投票者集団から成る意思決定機関(議会など)があり、それらの投票者たちは互いに他の者の判断に影響を及ぼしあうことはなく、しかも誠意に基づいて投票を行うとする。そして、投票者の総数、各投票者の意見が「正しい」ものである確率、決定の様式、決定に必要とされる多数派の人数の仮定などが数値的に与えられているものとする。(ここでの「正しい」が何を意味するのかについては、この後すぐに解説する。)
 すると、理論的には次の5種類の確率の値が計算に与えられることになる。



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1 正しくない(誤った)決定がなされない確率
2 正しい決定を得る確率
3 正しいにせよ、誤っているにせよ、何らかの決定を得る確率
4 未知の得票差により下された決定が、誤っているよりはむしろ、正しいであろう確率
5 既知の得票差により下された決定が正しい確率(28)
 
 この理想的な個人からなる投票集団モデルから、投票の様々な問題を演繹し、解決策を探していこうというのが『試論』でとられている方針なのである。    
 これから更にその詳細を見ていきたいのだが、その前に二点ほど説明をつけ加えておこう。一つ目は、投票者の選択や決定が「正しい(vrais)」とか、「真理 (v屍it氏j」である、などいう表現についてである。20世紀の人間の多くはそうした表現を理解しないか、もしくは、理解したとしても、決定の結果が望ましいものであるとか、集団の意向を適切に表現している、などという意味で捉えたくなるだろう。だが、18世紀のコンドルセにはそのようなつもりはなかった。彼のいう「正しい」決定とは、啓蒙的理性の持ち主により下される合理的な決定という意味であった。啓蒙されているということと、的確な判断力を持つこととは彼にとって同義だったのである(29)。
 二つ目は、投票者の判断が正しい確率などどうやって求められるというのか、という問題についてである。現代の人間にはやはり謎でしかないこの点について、コンドルセの考えていたことは、いかにも18世紀の啓蒙主義者的なものであった。すなわち、真に啓蒙された人々から構成される「審議会(Tribunal d'examen)」を設け、過去に下された決定の正誤を、そこで審査させればいい。真に判断力のある人々ならば、そこから、個々の投票者が正しい判断をする確率の近似値を高い精度で導くことも出来るだろうというのである(だがさすがに「審議会」の設置は現実には困難だろう、としているが)(30)。
 さて、ようやく本題に入るが、前述したようにコンドルセは、独自の集団的意思決定モデルを用いて前述した「5つの確率の値」を計算していくことにより、フランスの当時の社会状況(と、いうよりコンドルセから見た当時の人々の啓蒙のされ方の度合いと言った方がいいだろうが)に最も適切な議会の規模や投票の形式が求められると考えた。
 「正しい」法案ならば必ず必要とされる多数の賛成を得られるような意思決定の場(議会)が保証されねばならない。また、人々は投票により誤った決定を下してしまうことを回避しなければならないが、一方でそれを恐れるあまり決定不能になってしまうこともないようにしたい。ある法案が正しいという確率がどのくらいならその法案が正しいと判断していいか、ということや、ある正しい決定がなされるのに必要最低限な賛成票の規模などを明確にすることも、正しい決定がなされる確率を高めるために必要だろう。
 コンドルセはその考察のため、想定した投票集団モデルを用い、『試論』第一部では十一個の様々な条件下での理論上の結果を、解析的手順により数学的に検証していく。まずその中には、議会の投票者数が奇数か偶数の場合、可決に必要な賛成者数の定義をどうしているか、複数法廷による同一事件の審議から正しい決定を得る条件、など、二者択一の単純な多数決を想定した意思決定機関の様々な形態についての考察がある。その次に、二つ以上の複数提案や複数候補者からの一者選択といった複雑な決定方式の際に生じる問題についての考察がなされていくのである(31)。このうち全部を扱うだけの紙面は許されないので、本論文では、単純な多数決の投票を行う議会の規模についての問題と、複数候補からの一者選択の問題について論じた部分を中心的に取り扱うことにする。


(25)Baker,op.cit.,pp.228-229.
(26)Essai sur l'application de l'analyse,p.i-ii.
(27)Baker,op.cit.,pp.230-235 . 安藤隆穂、上掲書、177ページ。田辺寿利、上掲書、 82-83ページ。
(28)Essai sur l'application de l'analyse,pp.xviii-xix, pp.xxi-xxii. この、計算されるべき5つ  の確率の数学的表記については、本稿末尾の付録(3)を参照のこと。
(29)Baker,op.cit.,pp. 236-237.
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(30)Essai sur l'application de l'analyse, pp.xciii-xcviii.
(31)ibid.
 


 2 投票集団の啓蒙度と議会の規模
 意思決定機関のあり方についてコンドルセが得た結果は、簡単にいうと、多数決により得られた投票結果が正しい確率は、意思決定機関(議会)を構成する投票者の啓蒙の程度に大きく影響されるということであった。
 それによれば、個々の投票者が誤った判断よりも正しい判断をする傾向にある場合、正しい判断をする確率は1/2以上であるので、そのような投票者たち(みな等しい啓蒙の程度にある)から構成される議会が多数決で正しい決定を下す確率は、議員である投票者の数が増えれば増える程大きいものになる。
 一方、正しい判断をする確率が1/2より低い投票者集団が多数決で下す決定が正しい確率は、投票者数が増大するほどに小さくなる(32)。そこでコンドルセは、無知な人と啓蒙された人が入り交じっている目下のフランスの状況では、議員の数を増やすほど、投票者集団に判断力の差が生まれる。そうすると、判断力の無い(啓蒙の度合いの低い)人々が、議会の下す決定の正しさの信頼度を損なわせ、間違った決定を行うようになる恐れがあるので、そのような社会では、なるべく啓蒙された判断力のある人々だけで議員が構成されるよう、議会の規模に制限を設ける必要があると論じるのである。
 彼によると、大変多くのメンバーからなる議会は、時代が進んで人々が等しく啓蒙された精神の持ち主になる未来か、もしくは皆が同程度に無知であった原始時代にのみ機能しうる(意思決定に参加する人数がどの位の規模でも、同レベルの決定しか得られないだろうから)ものなのである(33)。
 だが、投票者数を制限しても啓蒙の不十分な人間が多い投票者集団が出来てしまうのは仕方がないことである。そういう場合は、決定が比較的簡単に行われる単純な多数決ではなく、厳しい条件や複雑な過程を用いた多数決(投票者の3/5の賛成で決定、など、可決のため必要な多数派の比率を決めておくことや、複数の議会の多数による決定を組み合わせることなど)にもとづく決定を行わせることが必要であった。だが、決定様式が複雑になったり、多数決の条件が厳しくなったりすると、今度は決定不能に陥る可能性が大きくなってしまうのである(34)。
 これでは、まるで民主主義の困難さ、無謀さを強調しているようだが、コンドルセ自身は民主主義的な代議制から成る議会の設立を推進しようとする立場にいた。従って、彼は民主制の困難を認識しつつも、それを克服するためにとるべき方策を探求しており、『試論』はまさにその試みの一環であったのである。



(32)Essai sur l'application de l'analyse, pp.3-14. トドハンター『確率論史』安藤洋美訳、(現代数学社、1978年[初版、ロンドン、1865年])、302-305ページ。詳しい計算式は、トドハンターの表記の方がわかりやすい。コンドルセのものは記号の表記法が現代と異なる部分があるのでやや見づらい。
(33)ibid.p.xxv.
(34)ibid.pp.xxxiii-xxxv.







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 3 複数候補からの一者選択 
 議会の規模など一連の問題を取り扱った後に続けられたのは「より複雑な決定様式」、すなわち複数提案・候補からの一者択一についての分析であったが、これも民主主義の困難さを更に強調しているかの如き印象を与えかねないものであった。
 これまでの議論は二つの提案のうちどちらを正しいものとして選ぶかという二者択一の投票を前提としていたが、今度は、複数の提案や候補者から一者を選択しなければならな
い様な決定様式について考察がなされるのである(35)。最も単純な例は、三人の候補者から一人を選ぶ場合であるが、その問題を最初に扱ったのはコンドルセではなくボルダ(Jean-Charles de Borda, 1733-99) であった。当時王立科学アカデミーの終身書記(secr師aire perp師uel) であったコンドルセはボルダの論文が1770年に王立科学アカデミーの会報に発表されたころからそれをよく知っており、彼の取り上げた問題を更に発展させたのである。
 両者の違いは、ボルダの関心があくまでも王立科学アカデミー内での選挙の際に実際に起こりうる問題点について考えたい、というテクニカルな視点にあったのに対し、コンドルセは具体的な選挙の問題への関心だけでなく、彼の集団的意思決定モデルを理論的に構築する為に選挙の問題を取り上げた、という点である(36)。
 ボルダの論文は厳密な証明的手順を踏むものではなく、具体的な例をあげて選挙で起こりうるパラドックスについて説明している。それを簡単に記すと、21の投票者がA,B,Cという三人の候補者から一人選ばねばならないとして、そのうち13人がAよりB, Cを、8人がB, CよりもAを好むとする。すると、Aが選ばれることを望まない人の方が多いことになる。だがこの時、B,Cを好む13人のうち7人がCBAの順に候補者を好ましく思い、6人がBCAの順にそう考えているとしたら、三人のうちAを一番だと思う人は8人、Bを一番だと思う人は6人、Cを一番だと思う人は7人になって、単純な三者択一の多数決(単記投票)では、Aが選ばれることになる。よって、集団の意見としてはAを望まない投票者が多いのに、単記投票による多数決ではAが選ばれてしまうというパラドクスが起こるのである。(「ボルダのパラドックス」)ボルダの最終目標は、このパラドックスを避けて集団の意志をうまく反映できる投票の集計方式を提案することであった(37)。
 一方コンドルセは、普通の多数決の方式でもたらされる矛盾を、なるべく数学的な方法で、彼なりに示そうとした。それは繁雑でわかりにくい表現を含むものだったが、数学的に分析していくことで、選挙方式の不完全さにより生じる「誤り」の影響力を無化させる解決策を見つけだそうとしていたのであった。そのあたりが純粋に選挙の実用的な側面から考察していこうとしたボルダとの違いである(38)。
 では、コンドルセのやり方を少し見てみよう。彼は幾つものパターンを序論・本論であげているので、これはほんの一例であるが、彼の考えていたことを理解するのには充分なはずである(39)。
 まず、A,B,Cという三人の候補がいるとする。この時、Aを支持する人が「A > B」,
「A > C」(ここで、A > C はCよりAを支持する、ということ)という立場をとるのは当然であり、Bを支持する人は「B > A」, 「B > C」、Cを支持する人は「C > A」,「 C > B」である。この時、Aを支持するa人のうちで「B > C」の立場の人がa'人、「C > B」の人がa''人とする(a = a' + a'')。また、Bを支持するb人は全員「C > A」の立場をとっていて、Cを支持するc人の人も全員「B > A」の立場をとっている。つまり表記すると、
 Aを支持 a票  A > B > C a'票
          A > C > B  a''票
 Bを支持 b票  B > C > A  b 票
 Cを支持 c票  C > B > A  c 票
 となっている。
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 そこで、仮に a = 11, a' = 3 , a'' = 8 , b = 10 , c = 9とすると、a > b > cとなり、単純な単記投票の結果だとAの支持票が多いことになり、Aが選ばれる。しかし、ここでそれぞれの候補二人ずつを比べてみると、
 A > B に賛同    a票   = 11票
 A < B       b + c票 = 19票
 A > C       a票   = 11票
 A < C       b + c票 = 19票
 B > C       a' + b票 = 13票
 C > B       a'' + c票 = 17票
 となる。すると、「A > B」、「 A > C」よりは「A < B」、「A < C 」 の方がそれぞれ11:19で有利であり、「B > C」よりは「C > B」の方が13:17で有利である。従って、この考え方だと、選挙の結果は「A < B 」かつ「 A < C 」かつ 「C > B」、すなわち優先順位は「C > B > A」で、Cが最多の支持を勝ち得ているということになる。コンドルセは、Cを支持する票の方が本当の多数派であり、これこそ「本当の多数派票が、(単記投票では--引用者)最も少ない投票しか得なかった候補に実際には集まっている」場合を示す例だと言っている(40)。
 そしてコンドルセは更に分析を進めていく。
 上の例の場合、三人の候補者について、三つの命題(propositions) 「A > B」,
「 B > C 」, 「A > C」と、それらとそれぞれ逆の三命題、「A < B」,「B < C」 ,「A < C」 をあわせた六つの命題が考えられる。それぞれ対応する命題と逆命題を対にした三組を考え、一組ずつ、命題「A > B」を選ぶかその逆「A < B」を選ぶか、などと考えていくと、理論的には三つの命題の組み合わせから成る、23通りの「意見(avis)」が考えられる。それらは次の8個である。
 (1) A > B A > C B > C (2)A > B A > C B < C
 (3) A > B A < C B > C (4) A > B A < C B < C
 (5) A < B A > C B > C (6)A < B A > C B < C
 (7) A < B A < C B > C (8) A < B A < C B < C
 しかし、各「意見」の内容を吟味してみると、(3)と(6)は矛盾している(推移律が成り立っていない)。従って、現実の決定に適用可能な「意見」は、(1),(2),(4),(5),(7),(8)の六個である(41)。すなわち、これを一般化すると、n人の候補者がいた場合nP2個(つまりn(n-1)個)の命題があるのであり、理論上は2n(n-1)/2個(n(n-1)/2 = nC2 )の「意見」が存在することになるのだが、そのうち実際に矛盾しないのはn!個(順列の数)だけなのである(42)。
 さて、では「意見」(1),(2),(4),(5),(7),(8)を支持する票がそれぞれq1, q2, q4, q5, q7, q8票だけあったとしよう。すると、
  A > B を支持する票    q1 + q2 + q4   票
A < B  q5 + q7 + q8    票
A > C q1 + q2 + q5   票
A < C  q4 + q7 + q8   票
B > C  q1 + q5 + q7   票
B < C  q2 + q4 + q8   票
 となる。
 最初の例であげたように、単記投票を用いて多数決をとると、集団の本当の意志を反映しない場合があるので、各「意見」に対する票数q1, q2, q4, q5, q7, q8のうち一番大きい数があればその数に対応する「意見」が最も支持されている、というようには考えない。あ
21
くまでも、各「意見」を構成する三つの命題がそれぞれ得た支持票の合計が一番高くなっ
ているような「意見」を選ぶようにする。また、その時に、選ばれている三つの命題はそ
れぞれペアになる逆命題に対して、より多く得票している方であるはずである。
 しかしこの時、仮に q1 = 9, q2 = 2, q4 = 7, q5 = 4, q7 = 6, q8 = 3とすると、
A > B を支持する票    q1 + q2 + q4 = 18   票
A < B  q5 + q7 + q8 = 13    票
A > C q1 + q2 + q5 = 15  票
A < C  q4 + q7 + q8 =16  票
B > C  q1 + q5 + q7 =19  票
B < C  q2 + q4 + q8 =12  票
 となる。すると、六つのうち、支持される三つの命題は 「A > B」 , 「A < C」 ,
「B > C」ということになるが、この結果には矛盾が含まれてしまう。しかも、これは最初に除外しておいた筈の「意見」(3)と同じ結果になってしまっているのである(43)。
 コンドルセによれば、このような場合は選挙を無効にするのが一番いいのだが、どうしても今すぐに当選者を決定せねばならない事情がある場合は、選ばれた の三つの命題(この例なら「A > B 」, 「A < C 」, 「B > C」 )のうち、最も支持の少なかった(コンドルセの観念でいえば、それは正しさの蓋然性が低いのと同等である)命題を捨て、支持の高い(蓋然性の高い)残りの二つ(この例でいえば「A > B 」, 「B > C」 が残る)が示す優先順位(すなわち A > B > C)に従うのがやむを得ない最善の策であろうという(44)。
 このパラドックスは、ギルボー(Guilbaud)により「コンドルセ効果(l'effet de Condorcet)」と呼ばれて以来、現代でも「ゲーム理論」の「ポリティカル・サイエンス」の用語として用いられている。また、「アローの定理」とコンドルセのパラドックスとの密接な関連も指摘されている。この類の選挙結果の「矛盾」を最初に指摘したのはコンドルセだったのだ。そして、『試論』には確かに、現代のポリティカルサイエンスを先取りしていたといえる要素が見て取れるのである(45)。
 しかし、彼は自分の理論を選挙の優先順位の問題に留めてはおかなかった。彼にとっては、選挙のパラドックスや優先順位の問題は、彼の確率論を中心とする「社会数学」の理論を構成する一要素でしかなかったのだ。彼にとって望ましい選挙の結果とは、投票集団の示す優先順位を忠実に反映した候補が選ばれることではなく、「正しく」、「合理的」な判断により候補が選ばれることだったからである。そして彼は、「正しさ」、「合理性」を測るために確率論は不可欠であると考え、確率により正しさの度合いを数値で表現することに専ら主眼を置いた。これが、コンドルセをポリティカルサイエンスの創始者とは言えない大きな理由である(46)。
 では、「正しさ」や「合理性」が確率で表されるという信念の下に、コンドルセはどのような理論を展開していたのだろうか。参考までに、先のパラドックスを提示した少し後でコンドルセが論じていることを見てみよう。
 コンドルセは個々の投票者が正しい判断をする確率をv、誤った判断をする確率をeとして次のように言う。(ここで、v + e = 1である。)

 例えば、次のことを仮定してみよう。すなわち、A> Bに18票、A > C に18票、B < A
 に15票、C > Aに15票、B > Cに32票、C > Bに1票の支持を得ているとして、A > B,
A > Cの組み合わせをよしとする決定が、どのくらいの(正しさの--引用者)確率を持
 ちうるかを求めたいとする。我々は、A>Bの(正しい--引用者)確率が以下のように
 なるという結果を得るだろう。
    v18e15 = v3
v18e15 + v15e18   v3 + e3 
22
 更に、命題A>C の確率も  v3   となるだろう。
v3 + e3 


 従って、二つの組み合わされた判断(つまり「A > B」かつ「A > C」とする決定--引
 用者)の確率として
        v6 = 1
v6 + 2v3e3 + e6 1 + 2e3/v3 + e6/v6   を得るだろう.....(47)
  
      
 この後コンドルセは 「B > C」 かつ 「B > A」という決定(つまり、上の引用で扱っている場合と別の決定)が正しい確率を求め、先に求めた「A > B」かつ「A > C」という決定の確率の方がそれより高くなるための条件を考察している。その結果、「B > C 」かつ 「B > A」のペアよりも、「A > B 」かつ「A > C」のペアの方が多くの支持を得ていて、かつv > e(正しい判断をする人の方が多い)が確実な状況であっても、そのvの値や各支持票の数によっては、「B > C 」かつ 「B > A」の決定が正しいものである確率の方が(支持は低いにも関わらず)「A > B 」かつ「A > C」の確率より高くなってしまうという矛盾した結果がおこりうる、と論じている(48)。
 この後も延々と同じ調子で続いていくのであるが、彼が最終的に向かうところは、あくまでも確率による決定の「正しさ」の評価を中心とする「社会数学」の構想そのものであるということが、これだけでも充分におわかりいただけたと思う。 
 さて、この「複雑な提案に下される決定の理論と選挙の理論」の分析の最後に、一般的な結果としてコンドルセは次の二点をまとめている。1)まず、決定すべき問題を正しく提示することが、合理的な意志決定のために重要である。つまり、複雑な提案は単純な命題に分解してから投票にかけ、確率の高いもの順に選んでいくということである。そして、2)投票者が啓蒙されるほど、複雑な決定にたずさわるようにするべきで、そうでない人々にはより簡単でわかりやすい決定のみが任されるべきだという。さもなくば、誤った決定を回避しようとするあまり、決定不能に陥る可能性があるからである(49)。 
 この実に「一般的」な結果から予想のつくように、全体を通じての彼の論調は、複雑な計算式を展開した割にはいささか平凡であるとの感を免れないものだった。コンドルセは結局、啓蒙されていない人々に純粋な民主主義政体を担わせるのは危険であるが、そうした人々の政治的権利を、より啓蒙された少数の者を代表として選挙で選ぶことに限るようにすることで、合理的な政治決定が保証すればいいであろう、という、1785年の時点での彼の政治的思想そのものを繰り返しているのである(50)。
 だが、彼のこの試みに非常に斬新な側面があるのは事実であり、また、『試論』が同時代人にもそう重視されなかったとはいわれているものの、実際にはある程度の影響をも及ぼしていたのだということは、つけ加えておかねばならないことであろう(51)。



(35)Essai sur l'application de l'analyse, p.xlv.
(36)Rashed,op.cit.,p.78.
(37)Rashed,op.cit.pp.78-79. De Grazia,モMathematical derivation of an election systemモ,in Isis, vol.44,1953,p.45. 「多数決の原理」(majority principal)について充分に定義していないなど、  ボルダの論文には厳密さが欠けていたとDe Graziaは、述べている。
(38)Rashed,op.cit.p.81.
(39)本稿では選挙理論の説明に、『試論』本論からの引用を主に用いることにする。序論からの例につい ては、Baker,op.cit.や伊藤邦武、上掲書がわかりやすい説明を加えて論じているので、そちらを参照さ れたい。
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(40)Essai sur l'application de l'analyse, pp.119-120.
(41)ibid.,p.120.
(42)ibid.,pp.lx-lxi,p.125.
(43)ibid.,pp.120-122.
(44)ibid.,p.lxvii. 
(45)ケネス・アロー『社会選択と個人評価』長名寛明訳(日本経済新聞社)、1977年、147-151ページ。  伊藤邦武、上掲書、65-66ページ。
(46)Baker,op.cit., p.238.
(47)Essai sur l'application de l'analyse,pp.122-123. この引用部分の数学表現の理解のためには、  本稿の付録(3)を参考にされるとよい。 
(48)ibid.,p.123.
(49)ibid.,p.lxix,p.135-136.
(50)ibid.,p.xxiv, p.clxxxii.
(51)Rashed,op.cit.,p.43. 詳しくは、この後の註(66)を参照せよ。


     第四節 ベイズ主義的推論

 第三節では『試論』独自の内容である選挙の理論に絞って論じたが、第二節で触れていた認識論と確率論の問題がそれにどうつながるか、ということをあまり明らかにさせてこなかった。第四節では、予告したように、『試論』第三部を中心に取り上げられている未来の事象に対する「ベイズの定理」を用いた推論という認識論的な問題とコンドルセによるその応用について論じさせていただく。これにより、『試論』の内容の全体像を有機的な連関の下に捉えらることがより容易になる筈である(52)。
 だが、本題に入る前に、今まで特に説明もなく用いてきた「ベイズ主義」(Baysianism)という言葉について簡単な解説をしておくべきだろう。まず、「ベイズ主義」というのは、一般に、推論や確証の認識的論理についてのある哲学的立場を表す今日の用語である(53)。従って、これを18世紀のコンドルセについて用いているのは、あくまでも現代の視点による便宜的なものであることをご了承願いたい。そのベイズ主義についてもう少し詳しく説明すると、それは、18世紀にベイズ(Bayes)、ラプラス(Laplace)らにより提起、定式化された確率計算の定理(すなわち「ベイズの定理」)を、人間が経験の蓄積を通じて信念を改訂していく際の認識学習モデルと解釈する哲学的立場のこととされている(54)。コンドルセを「ベイズ主義」の先駆と位置づける本格的な研究は、第二章の冒頭でも触れたように、ロシュディ・ラシェドのMath士atique et soci師? (Paris,1974)に始まった(55)。 
 ではここで、数学的定理としての「ベイズの定理」を確認しておこう。
 Aを、得られた結果としての事象、H1, H2,......., Hkはそれぞれ結果Aの原因(もしくは結果Aに関する仮説)であるとすると、それは以下のように表される。

 ベイズの定理(第一の形式)
 P(Hi/A) = P(Hi)P(A/Hi) / P(A) (1)

 ベイズの定理(第二の形式) n
P(Hi /A) = P(Hi )P(A/Hi ) / {S P(Hj) P(A/Hj) } (2)
                 j = 1
  ここで、P(Hi)は「事前確率」と呼ばれ、結果Aが起こる起こらないとは独立な、原因 Hi (仮説Hi )そのもののアプリオリな確率を指す。また、P(A/Hi) は原因Hiの下で(仮説Hi の下で)結果A が生じる確率(「予測確率」)である。するとベイズの定理は、既に結果Aが得られている状況で、Hiが結果Aに対する原因である確率(もしくは、結果Aに条
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件づけられた仮説Hiの確率)P(Hi/A)--これを「事後確率」と呼ぶ--を計算する公式と解釈できる。ベイズの定理の第一の形式を書き換えれば第二の形式は得られる。
  コンドルセは、ベイズの定理を確率論の原理的な公式として、『試論』でも第一部から第五部までを通してよく用いている。本論文第二章第三節の終わりに近い場所の引用(56)に使われていたのもベイズの定理の一種であった。だが、先ほど述べたように、認識
論的な問題に一番深く関わってベイズの定理が用いられているのは、第三部なのである。
 コンドルセが掲げる第三部の目的は、「1)観察によりある人の意見や法廷の決定が正しいもしくは間違っている確率を決定する」することが出来るようにすること、「2)解決すべき異なる種類の問題の為に、正義や深慮により同意することが可能になる最低限の確率をも決定出来る」ような方法を求めることである(57)。その為に彼は「未来に下されるであろう判断の確率を、既に下された判断の正誤についての知識から決定する」ための手段を用いる必要があると言う(58)。その手段として、ベイズの定理の使用が検討されるのである。
 彼自身がベイズの定理の導入について論じている部分が、『試論』の序論の中で本論の第三部の内容について分析している箇所にあるので、以下にその冒頭を引用してみよう。
 
 未来の事象の確率を過去に起こった事象の法則から求める、という考えは、ヨーハ
 ン・ベルヌーイやモアブルには既にあったようである。だが、彼等はそのための手段
 について著作の中では何も言わなかった。
  ベイズ氏とプライス氏が、1764年と1765年の哲学的な書簡のやりとりの中でそれ
 についてふれており、その問題を解析的に扱った最初の人はラプラス氏であった(59)。


 ベイズの定理が導き出されたのは、帰納の理論(th姉rie de l'induction)や統計的な推定(l'inf屍ence statistique)の理論を作り上げようとの試みからというより、むしろ、「ベルヌーイの定理」の逆を求めようという基本的にテクニカルな関心によるのではないか。この引用部分によりコンドルセは、そう示唆している様にも見える(60)。
 コンドルセは確率論に興味を抱いた最初の頃から、ベイズの定理に大きな関心を寄せていた。彼も良く知っていたラプラスの論文(61)が、ベイズの定理の定式化に成功し、確率論の応用に必要な解析的手段などテクニカルな問題を殆ど解決させていたことは、大きな刺激となったはずである。少なくともラプラスの成果を受けて、コンドルセは定理の哲学的な考察を行い、確率論を基盤に据えた社会科学を構想するようになったのである(62)。
 このように、理論的な面ではほぼ全面的にラプラスや先人達に負っている思われるコンドルセだが、確率論の哲学的考察においては非常に斬新で先駆的であった。また、「統計的な推定」と「ベイズの定理 (le th姉r塾e des probabilites des causes)」の関係を最もよく把握した最初の人物こそまさにコンドルセであった、とラシェドは主張する。すなわち、統計的な比率(壺のモデルでいえば白玉と黒玉の混合比など)やある事象の生起する傾向といった、統計的な事象の「原因」の推定を行う際に、とりわけ、既知のデータに基づいてその推定自体の信頼性、確実性を計量するのにはベイズの定理が有用である、ということを早くに理解したのである。そして彼は、社会的領域の統計に対するその応用を真っ先に説いた。彼にそれが可能だったのは、純粋数学のテクニカルな問題よりも、定理の応用できる領域という応用数学的な関心を持っていたことによるようである(63)。
 ラプラスは1786年の論文(64)でも、有名な1814年の『確率の哲学的試論』(65)でも、社会現象への確率論の応用、統計的推定を試みているが、そうすると、そこにはコンドルセの影響があったことになる。ラシェドによれば、確率論の哲学的な分析やその社会領域への応用をラプラスが試みるようになったこと自体が、コンドルセの影響によるものだと言う(66)。


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 では、もう少し先ほどの引用の続きを見てみよう。

 基本的な問題は次のように要約される。もし、二つの相反する事象のうち、例えば
 一方が百回、他方が一回しか起こらなかったとすると、または、もし一方が百回、他
 方が五十回起こったとすると、その一方が他方よりも起こるであろう確率はいくつく
 らいか?
  この問題では、二つの事象が生起する確率は全ての回を通して一定不変に保たれて
 いるものと仮定している。即ち、それらの事象の生起を定めている未知の法則は不変
 のものである、としているのである。実際に、もしもこの条件が亡ければ、二つの事
 象にとって未来についての確率は、どの様なふうに過去の事象が継起していたとして
 も、変わらないものになってしまうだろう。[......]
  結局、過去の事象が従ってきた法則に従って起こる未来の事象の確率を求めるため
 には次のものを考慮しなければならない。
  1)ある不変の法則に従って起こるという仮説に基づいた上での、その事象の確率。
  2)何の法則にも従わずに生起する場合におけるその同じ事象の確率。
  そして、これらの確率のそれぞれを決めるために用いた仮定(supposition)(つま
 り不変の法則に従うか、従わないかという仮定)とそのそれぞれの確率(1、2の確率) とを一つずつ掛け合わせたものの和を、二つの仮説(不変の法則に従う/従わないの
 仮定のこと)の確率の和で割らねばならない(67)。
(--括弧内は全て引用者による)

 この部分の意味を考察する。すなわち、二つの相反する事象AとBがあり、例えば前者がm回、後者がn回起きたとする。その時、未来における事象Aの生起の確率を過去のデータから単純にm/(m + n)と定めるのではなく、以下の様に考えた方がよいのである。まず、それらの事象の生起の原因を構成する法則が不変に存在するか、そうでないかの二つの場合がある。そして、不変の法則があるという仮定をH、無いという仮定をH'とおくと、未来において事象Aが生起する確率P(A)は、
 P(A) = P(A/H) P(H) + P(A/H') P(H')
P(H) + P(H')
 で求められるというのである(68)。
 彼によれば、このような方法で求められたP(A)は「真の確率(vraie probabilit?)」、ではない。それは、考えられる確率の値の平均を求めた、「平均的確率(probabilit? moyenne)」でしかないのである。事象Aの生起の背景にある法則を知る術を持たない人間にとっては、それが完全にわかっている時にのみ求められるであろうAの「真の確率」を得ることは出来ず、「平均的確率」のみが計算により求められるのでである(69)。
 この例はベイズの定理の応用そのものではないが、ある事象一つとっても、その背景に不変の法則があるかどうかを完全に認識する能力は人間には無いのだ、ということを確認する意味がこめられている。『試論』ではこれ以上ふれられていないが、別の論文には、同じ法則・原因が終始働いているのではなく途中で別の法則に入れ替わっている場合、その原因の「平均的確率」をどう求めるか、について言及したものもある(70)。
 では、次にベイズの定理を応用した例を要約して紹介しよう。
 壺の中に、白と黒の玉が併せて101個入っているのだが、その混合比がわからない。今、毎回壺の中に引いた玉を戻すようにしながら、80回白玉を引き、1回黒玉を引いた。私は混合比を知ることが出来ないので、次のような方法で、ある混合比が成立している確率を求める。すなわち、混合比が白:黒 = 101:0のとき、100:1のとき、99:2のとき・・・と仮定をいくつもつくり、それぞれの仮定の下で80回白を引き、1回黒を引く確率を求める。その時、白:黒 = m:nであるとした仮説(Hmとする)の確率、すなわち、白:黒 = m:n という「原因」により「80回白を引き、1回黒を引く」という結果
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(結果Wとする)が得られる確率を求めるには、次のようにすればいいとコンドルセは言う。

P(Hm/A) = P(W/Hm)/ΣP(W/Hi ) (3)

 この P(Hm/A) も原因Hmの「実際の確率(probabilit? r仔lle)」、もしくは「真の確
率」ではない。「平均的確率」である。(71)
 ところで、式(3)は前掲の「ベイズの定理(2)」に近いが少し違う。仮説の事前確率P(Hi)の項が抜けているのである。これは、「仮説どうしの事前確率は、我々には直接知られていないのであるから、それらはいずれも同値であると想定されて良い」(72)とするラプラスの論文の内容に沿ってベイズの定理(2)を
 P(Hi /A) = P(A/Hi ) / {S P(A/Hj) }
 と解釈したことによるのだろう。すなわち、式(3)においてはH1,H2,....,Hiは同程度に可能性があり、確からしい、とアプリオリに仮定されているのである。
 だが、この例では事前確率がアプリオリであるかのように処理されているものの、伊藤邦武氏によれば、コンドルセはこの仮定どうしの可能性が「互いに同程度であるという想定には経験的な根拠が何もなく、そのために、我々の平均的な確率は、その背後の仮説どうしの確率を、経験にもとづいて確かめたものによって得られなければならない」という考えを持っていたようである。すなわち、諸仮説の事前確率をアプリオリに同程度としてしまわずに、経験的なものと解釈し、それを計測する方法を考案しようとした。彼は、確率計算に個人の信念や経験といった主観的な要素が反映されてもよいとしたのであ
る(73)。まだ確率論が整備された体系を持ち得なかった18世紀に、これだけ明確な哲学的立場を打ち出したのは驚くべき事である。しかもそれは、19世紀を通じて主流であった確率の解釈の仕方とは大きく異なるものであった。19世紀から20世紀の初頭までは確率に主観的な要素が入るのを極力避ける解釈、すなわち、確率の「客観説」が主流だったのである。確率の「主観説」、すなわち「確率とは個々の人によって異なる信念の度合いである」と解釈する立場がラムジー(Frank Plumpton Ramsay)、デ・フィネッティ(B. De Finetti)らにより提唱されたのは、今世紀のことであった(74)。それゆえに伊藤氏は、コンドルセにはこの「主観説」を先取りする要素があったとするのである(75)。そして、このように主観的な要素の取り入られたベイズの定理を彼が、「過去の事象の結果に基づく未来の事象に関する推論」のための式として用いていることは、我々の推論のあり方、ある信念を作り上げ根拠付けるやり方が、確率計算と同じ論理で行われていることを示そうとしているかのようである。ゆえに、伊藤氏はコンドルセを「今日のベイズ主義者の先駆者」的存在と位置づけるのである。
 コンドルセは次のように記して確率と推論の問題についての議論を締めくくっている。

 このように、全ての確率計算においてそうであるように、確率と事象の現実との間だ
 けでなく、計算により与えられる確率(平均的確率)と実際の確率の間にも、全く必
 然的関係は無い。しかしながら、この序論の始めに明らかにしたように、この類の
 (計算により与えられるような)確率の上にこそ我々の全ての知識が展開されるので
 あり、日常生活において我々を導いている全ての根拠(motifs)もその確率に依拠して
 いるのである。その不確実さは恐ろしいものに思われるかも知れないが、それを知ら
 しめることは有益であり、懐疑主義に打撃を加えるための唯一の確固たる手段です
 らある。懐疑主義は、蓋然性を計算の支配下に置くという方法を無視している限り、
 超克され得ないものだったのである(76)。(括弧内は引用者)

 そして、コンドルセは議会や法廷で「未来に下されるであろう判断の確率を、既に下された判断の正誤についての知識から決定する」ために、ベイズの定理を応用する問題に
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『試論』本論第三部の後半で取りかかる。ベイズの定理は、信念の根拠を確率計算で計量し、意志決定の基準にするという彼の構想の根幹を成すものだったのである。
 このように彼の『試論』は、数学的な不備や18世紀的な世界観に限界づけられた書である一方、他方では、現代の我々から見るに、ベイズ主義的な解釈をバックボーンにする当時としては非常に斬新な哲学的立場に裏打ちされた、合理主義的意思決定理論の書であったと言えるだろう。コンドルセの真価は、多くの研究者が認めるように、数学的理論を哲学的に考察し、そこから応用されるべき新しい問題を洞察することの出来る想像力豊かな精神にあったのである。



(52)更に言うなら、本論文を執筆する際に著者が「選挙の理論」と「ベイズ主義的推論」の部分を分けて 論じているのは、コンドルセの思想を整理された形で伝えるための便宜的なものであることもご了承いた だきたい。著者の書き方だと、『試論』が二種類の分裂した内容を含んでいるような印象を与えてしまう かもしれないが、実際のコンドルセの論文では第一章の初めから第五章の最後まで、意志決定機関の形態 という政治的な問題と、確率論を応用する推論の問題とが、分かち難く結びつけて論じられているのであ る。
(53)内井惣七『科学哲学入門』(世界思想社、1995年)、174ページ。 
(54)伊藤邦武、上掲書、45ページ。
(55)同書、102ページ、註(31)。Rashed, op. cit., 54p. その後の主な研究では、著者の知る限りだとロレーヌ・ダストン(Daston,op.cit.)と伊藤邦武(伊藤邦武、上掲書)のものがあげられるだろう。
(56)Essai sur l'application de l'analyse, pp.122-123. 
(57)ibid.,p.lxxxii.
(58)loc.cit.  
(59)ibid.,p.lxxxiii.
(60)Rashed,op.cit.,p.55.
(61)Laplace,モM士oire sur la probabilit? des causes par les 思始ementsモ, in Hist.Ac.des Sc.,1774 のこと。
(62)Rashed,op.cit.,p. 53.
(63)ibid.,p.54. 
(64)Laplace,モSur la naissances, les mariages et les morts,? Paris, depuis 1771 jusqu'en 1784 , et toutes l'師endue de la France,pendant les ann市 1781 et 1782.モin M士oires de l'Acad士ie royale des Sciences de Paris, 1783, 1786出版)のこと。
(65)ラプラス、上掲書。
(66)Rashed,op.cit.,p.43. ちなみに、ラプラスの『確率の哲学的試論』(1814)には「議会による選択 と決定」という章が設けられている。そこでは、直接コンドルセの名は言及されていないが、コンドルセ が『試論』で導いたのほぼ同じことが「確率計算によって示される一般的な結果」として述べられている。 「例えば、議会がその決定に委ねられた問題についてほとんど何も知らず、この問題は微妙な考察を必要 とするか、またはこの問題に関する真理は一般に受け入れられている偏見に反するものなので、各投票者 が誤りを犯す見込みは五分五分よりも大きいとしよう。このとき、多数決による決定はおそらく誤ったも のになろうし、その心配は議会の成員数が大きければより正当なものとなろう。したがって、公共の利益 にとっては、議会はその多数が理解可能な問題についてしか決定すべきものをもたないことが重要であ   る」。ラプラス、上掲書、邦訳、127ページ)。
(67)Essai sur l'application de l'analyse, pp.lxxxiii-lxxxiv.
(68)ibid.,p.lxxxiv.
(69)ibid.,p.lxxxvi.
(70)伊藤邦武、上掲書、93ページ。 Daston,op.cit.,p.279. コンドルセは、原因の確率について、  1783年の論文メR伺l残tions sur la m師hode de d師erminer la probabilit? des 思始ements futurs,d'apr峻 l'observation des 思始ements pass市モ,in M士oires de l'Acad士ie royale des Sciences 1783, 1786出版) で多く論じているのである。例えば彼はそこで、「未知の混合比で黒と白の玉がつまっている2つの壺」から玉をとる場合を想定している。「原因」である壺がどちらの壺なのかがわからないという状況で、どちらの壺から(どの原因から)玉を得たのか、その確率がベイズの定理により、平均的確率として求められるのである。
(71)Essai sur l'application de l'analyse,p.lxxxvi より。(3)の数式は著者による。
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(72)伊藤邦武、上掲書、91ページより。原典については同書の102ページ、註(27)参照。
(73)同書、92ページ。 
(74)内井惣七、上掲書、204ページ。 
(75)一方、ラプラスについては意見がわかれている。岩波文庫『確率の哲学試論』(1997年)の訳者でも ある内井氏は、「解説」においてラプラスの確率論が主観説の方により強い親近性を持っている、と解釈 している(同書、231ページ)のだが、Dastonは、ラプラスが確率の主観的な側面にどちらかというと否 定的であった、という逆の解釈を行っているのである(Daston,op.cit.p.284)。
(76)Essai sur l'application de l'analyse,pp.lxxxvi-lxxxvii.
                                                                                                                                                                                                                                                               

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